@article{oai:kokubunken.repo.nii.ac.jp:00000337, author = {松田, 修 and MATSUDA, Osamu}, issue = {02}, journal = {国文学研究資料館紀要, The Bulletin of The National Institute of Japanese Literature}, month = {Mar}, note = {pdf, 二巻一冊。写(近世中期)。浮世草子。全二十三丁。本文十二行(序は十一行)。寸法二○・三×二六・五~二七。作者都の錦(宍戸与一)。鹿児島県枕崎市東鹿籠関氏蔵。振仮名は朱と墨と二通あり。ともに本文筆写者とは別筆。今朱墨の別を立てず、必要と認められるもののみ生かし、翻字者の意見は行間括弧内に示した。虫損破損等は一字分を□で示し、二字以上にわたる時は()の中に、(二字分)などと示すか、あるいは損傷部分の長さの概数を入れた。本文行割細字の個所は原型を残したが、一六九頁のみ、分量の関係上、〈〉を附し、一行に直した。句読は仮に施した。 西鶴没後、上方文壇でかなり重要な地位を占めながら、出府後無宿人改めにひっかかり、薩摩山鹿野金山・鹿籠金山で、強制労働に従事させられた都の錦の生涯については、古く水谷不倒、近くは浜田啓介氏の、あるいは郷士史家諸氏によって研究が進められているが、中で劃期的であるのは、野間光辰先生の業績である。戦争下に発表された「都の錦の悲劇」(日本諸学振興報告収載)「都の錦獄中獄外」(国語国文)等は、都の錦の多元的な作品が、当代文学の流れにおいていかに位置づけられるものかを論じたものであるが、同時に文学者=もの書きの系譜上、きわめて特異な典型性をみせる、都の錦の精神史的位相を闡明したものである。 都の錦は悲劇的な薩摩体験をどのように以後の人生に生かしたか、わけて流人生活中、彼が何らかの文学的根跡を、薩隅の地に止めえたかどうか、大きな興味が寄せられるところであるが、今回鹿児島大学教授大内初夫氏によって発見紹介された関氏蔵にかかる本書「捨小舟」は、まさに待望されたその一冊であって、実に貴重であるといわねばならない。 流謫が文学創造に結びつくことは、いわゆる貴種流離譚を度外視しても、日本文学史上の大きなテーマであって、菅原道真、後鳥羽院等、枚挙に暇がない。しかし、それら面正しい次元、あるいは伝統的古典的なレベルを離れ、一受刑者としてリアリスティックに、流鼠流謫の生活を描いたとなると、極めてその数は少い。かつて紹介翻刻した「南方録」発見者立花実山の「梵字艸」など、がかろうじて思い起される。 本書は、都育ちの零落者、「浮かぬ舟」と「二の次」の対談の形式をとっているが、この二人が、共に都の錦の分身であることはいうまでもない。「爰に華の都より出生したる無宿あり仇名を二の次といひうかぬ舟と号す」など、筆のすべりであろうが、全く一人の人間についての表現である。冒頭は、悲惨な生活の実情を芽ち、あるいは、ほんの僅かなミスのために無宿人狩りという落し穴におちこんでしまう社会的メカニズムの非情さをつき、一見の自虐諧謔を超えて、自照性を濃厚に示して、その意味では近代小説への早い歩みでありえたのであるが、筆が進むに従って、ありふれた、書き古された浮世草子の一般性の中に解消してしまっている。都の錦の生が挫折であるほどに、この一冊にも亦挫折の色が濃い。 なお本書発見・紹介の功は、全く大内初夫氏に帰するものである。本書出現によって、都の錦への研究が一段の進展をみせるだろう。ついでながら、本書と同時発見された「播磨椙原」一冊は、都の錦自筆の可能性の極めて高いもの、東北大学本等との詳細な比較検討が望まれる。所蔵者関氏、大内教授、枕崎図書館の方々に謝意を素したい。 This article is a reprint and a bibliographical introduction of “Suteobune” written by Miyakononishiki, (Last name, Shishido, commonly called Yoichi) which is a part of “Ukiyo Zoshi”(浮世草子)in the middle of the early modern times discovered and inquired by a professor Ouchi Hatsuo at the Kagoshima University.}, pages = {165--183}, title = {翻刻『捨小舟』}, year = {1976}, yomi = {マツダ, オサム} }