@article{oai:kokubunken.repo.nii.ac.jp:00003626, author = {小山, 順子 and KOYAMA, junko}, issue = {38}, journal = {国文学研究資料館調査研究報告, Report on Investigation and Research}, month = {Mar}, note = {pdf, 中世和学の大家である三条西実隆(一四五五~一五三七)の『伊勢物語』講釈の聞書は、四種類が知られている。 最も有名なのが、大永二年(一五二二)五月の講釈の聞書『伊勢物語惟清抄』(以下、『惟清抄』と略)である。大永二年当時、実隆六十八歳。充実した講釈をとどめたもので、他の実隆による伊勢物語講釈聞書が一もしくは二本しか伝わらないのに比べ、『惟清抄』は天理大学附属天理図書館や内閣文庫・龍谷大学図書館などに数本が伝わり、最もよく読まれたものである。 ほかにも、『逍談称聴』と呼ばれる本がある。宮内庁書陵部本と京都大学国語学国文学研究室本の二本が知られている。この書はその名のとおり、逍遙院すなわち実隆の講釈を、称名院すなわち実隆の息子である公条が書きとどめた聞書である。公条は実隆の講釈を数度にわたって聴聞しており、その折々の断片的なメモのような内容となっている。あと一本、実隆講釈を留めたものとしては、青木賜鶴子氏によって『覚桜注』と名付けられている宮内庁書陵部本がある。これは天福本の行間に朱筆で実隆講釈を書き入れたものであるが、公条説なども混入しており、純粋な実隆講釈とは言えないことが指摘されている。 上記の聞書は大永年間以降、つまり実隆六十代から晩年にかけての講釈の聞書である。最も古い実隆講釈聞書であるのが、永正六年(一五〇九)、実隆五十三歳の時の講釈の聞書『伊語聴説』である。後述するように、実隆が初めて『伊勢物語』講釈を行ったのは永正四年(一五〇七)十二月。それより二年後『伊語聴説』は、最も初期の実隆講釈聞書と言えるのである。 陽明文庫には、『伊語聴説』一冊が残されている。なお『伊語聴説』は、この陽明文庫蔵本のみしか所蔵が知られない。実隆の、すなわち三条西家の最初期の『伊勢物語』注釈の聞書として『伊語聴説』は注目されるものであるが、具体的な内容の検討については大津有一氏『増訂版伊勢物語古註釈の研究』と青木賜鶴子氏「三条西実隆における伊勢物語古注46―「伊語聴説」「称談集解」に触れつつ―」(『百舌鳥国文』6、昭61・10)しか管見に入らない。 『鉄心斎文庫伊勢物語古注釈叢刊』(全十五巻、平1~14、八木書店)・『伊勢物語古注釈書コレクション』(全六巻、平11~23、和泉書院)・『伊勢物語古注釈大成』(既刊五巻、平16~、笠間書院)など、『伊勢物語』古注・旧注の影印や翻刻の刊行が続いているとはいえ、『伊語聴説』の影印・翻刻の類はいまだ出されていない。国文学研究資料館蔵マイクロ資料(55―2―6、E1854)によって、写真を閲覧調査することはできるが、書簡の紙背を料紙としているため、判読しにくい箇所も少なくない。そこで本稿では、解題とともに翻刻を収め、以後の研究に資するものとしたい。}, pages = {45--81}, title = {研究報告:陽明文庫蔵『伊語聴説』解題と翻刻}, year = {2018}, yomi = {コヤマ, ジュンコ} }